2009年01月15日

ひとつ得たものがあるよ

きのうねえ、「お手伝いしますー」なんつってたら

私も話すことになっちゃって、

いちおう昔はああやって話すことを あれこれやっていたから

あら久しぶりだわ、なんて思って

えーと、えーと、と 話の骨組みを考えて


・・・なんてやってたらさ、

前半のガネーシャさまのありがたいお話〜〜♪が

話半分のチクワ耳でさー(笑)



半分は「うんうん、そうだよね」と。 

私もうそれ知ってるわフフンのフンみたいなさ。www


だけどそんな中で


いくつか。。印象深いのが



子ども。 小さいとき、生まれたときは本性。

文字通り”自我が芽生え” 

自我を満足させるゲームをするようになって


折り返して

本性に戻ろう、というのを、今私達はしている、と。




だから、自分も本性だったときがあるんだよね。

「5歳の子が、2年後の自分に不安を感じますか?」

「あのとき、ああ言ったアイツが許せない」 なんて言いますか?



アハ。そんな子ども、可笑しい。

でも、大人がそうしてると普通に感じる。



今ここにいる、子ども。

思考がぶっとんじゃってる、大人。



そういえば、「Here and Now」 って。

ヤマハの先生やってたときに、習ってた。

子どもは、Here and Now の世界にいるから・・・って。


「今ここ」 だよ。 同じだ。



だから、子どもは込み入った思考ができない。

これはこう、、ってことは、こうしたらこんなふうになるハズだ!とか

考えられない。って。


それは、子どもの成長段階で、まだ”未熟”なときで・・・・って。



けど、、


まだ本性で生きている。 ということなんだ。

あれこれ思考を巡らせることができるのは”成長した”というよりも

自我の勢力がいよいよ強くなってきた、ってことなのか。





だから こうして浄化ワークをしている日々は

本性に

本性で生きていたころの自分に還る

ってことか

ああ、「本当の自分へ還る旅」ってタイトルだった。そういえば。w


”大人”でありながら

”本性で”って


どんなの?


安達さんはそうなんだよね。 どんなの?


外から見てもわからない。

普通にごっついおっさん(?)

いやや、ふつーのリーマンには、少なくとも見えないけど(笑)


このまんまで

中身は本性で

自我のブーブー言う声に悩まされずに


キャッキャッ(・∀・)

って生きる


頭まるめて あまさんになって お寺で たくあん食べて


そんな風でもない


すごく やんごとない人になるわけでもない


このまま しずのまま

中みは本性 子どものまま


大人になるにつれ経験してきた

ややこしいことがない


本性のまま 子どものころの私のまま


思い出したい

取り戻したい


「あ〜 わたくし、”自我”が芽生えなかったんですのよ、オホホホホ( ´ー`) 」


冗談でなく、今、自我ゲームをやらない世代が生まれてきているらしいし




ん〜 でも わかんない!

わかんなくなっちゃったよ〜〜〜


「やってみろ。やってみれば、本性か自我かわかる」って。



そうか、たしかに自我の満足を満たしても、しょうがないぞ・・・

それはやめて、本性で生きようとしているんだ


そんなイメージがつかめた。


「うちの父ちゃんは甲斐性なしで恥ずかしい」 と思いながら

ミルクを飲んでいる赤ちゃんがいるだろうか。


「あいつよりもハイハイが早くないと、くやしい」と思う

赤ちゃんがいるだろうか。



あたりまえのように自我と共に生きてきたな。

そしらぬ顔で私に貼り付いていた自我。

そろそろお別れの時間だよ。
posted by しず at 18:12| Comment(0) | 気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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